スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ミステリー・オブ・ヒストリー ♯6

安易に「アヌス」ネタには行かないよ!

ナビゲーターのファンキーガッツマンです。




今現在、語り継がれて来ている、
様々な歴史上の人物や、歴史上の出来事。

しかし!
本当にそれが『事実』だと皆さんは言い切れますか?

これまで、当り前のように、
それが『真実』だと語り継がれて来た事が、
実は『真実』ではなかったとしたら?

そう!
歴史には、葬り去られてしまった『謎』の部分があるのです。

この番組は、その名の通り、
そんな『歴史の謎』を、様々な角度から検証し、解明していく・・・

インテリジェンス丸出しの番組なのです!!!

「もうバカで結構!」と思っていようが、思っていまいが、
インテリジェンス丸出しの番組なのです!!!





さて、第六回目の今日は、
この人物にスポットを当ててみたいと思います。

それでは、
後ほど、またお会いしましょう。










『オクタヴィアヌスとローマ帝国』

紀元前63年生まれ。
全名、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス・アウグストゥス。

ローマ帝国の、初代皇帝である。





























■ガッツマン's eye

という訳で・・・

2時間に渡って、彼の生涯を振り返ってきた訳なんですが、
「波乱万丈」と言う言葉が、これほど当てはまる人生があったでしょうか!

私、報道に携わる人間として、
中立に物事を伝える立場にありながら、
彼の生き様に、熱くこみ上げて来るものがありました。

では、恒例の・・・

クイズ『一枚の写真』のコーナー

刮目せよ!!!











oct.jpg
「赤ちゃんポストはあっち!」の一点張り


















■結論

「一度ウケたネタはすぐ使う!」の一点張り














学校では決して教えてくれない、
歴史学者たちも頑なに口を噤んできた歴史の謎。

これからも、皆さんと一緒に紐解いていきたいと思います。

それでは、また次回、お会いしましょう!




スポンサーサイト

ミステリー・オブ・ヒストリー ♯5

がんばれ!光星学院!
青森県に初の優勝旗を!!!

・・・・・・えっ?雨で順延!?
な~んだ、テンション下がるわ~!

ナビゲーターのファンキーガッツマンです。




今現在、語り継がれて来ている、
様々な歴史上の人物や、歴史上の出来事。

しかし!
本当にそれが『事実』だと皆さんは言い切れますか?

これまで、当り前のように、
それが『真実』だと語り継がれて来た事が、
実は『真実』ではなかったとしたら?

そう!
歴史には、葬り去られてしまった『謎』の部分があるのです。

この番組は、その名の通り、
そんな『歴史の謎』を、様々な角度から検証し、解明していく・・・

インテリジェンス丸出しの番組なのです!!!

当の本人が完っ全に飽きてようが飽きていまいが、
インテリジェンス丸出しの番組なのです!!!





さて、第五回目の今日は、
この人物にスポットを当ててみたいと思います。

それでは、
後ほど、またお会いしましょう。










『アドルフ・ヒトラーと独裁政権』

1889年、
オーストリアの、ドイツとの国境にあるブラウナウ市に生まれる。

幼少期、ヒトラーは聖歌隊に所属するなどキリスト教に深く傾倒して、
聖職者になる将来を思い描いていたという。

しかし、1898年、父アイロスの移住により、修道学校での生活は終わりを迎えた。

2年後の1900年に弟エドムントが亡くなる不幸もあり、
次第にヒトラーは真面目で聞き分けのよい子供から、
父や教師に口答えする反抗的な性格へと変わっていった。

父アロイスは無学な自分が税関事務官になった事を一番の誇りにしており、
息子も税関事務官にするという野心を抱いていたが、ヒトラーは激しく反発。

父に強制的に工業高校に入学させられた事も、
父への反抗心を強くする要因となった。

この頃、ドイツでは、
ドイツ統一を巡る方針に関して、ふたつの思想主義が存在した。

オーストリアを含める「大ドイツ主義」と、
オーストリアを含めない「小ドイツ主義」である。

学生時代のヒトラーは、大ドイツ主義に深く傾向するが、
これもまた父と反発しあう要因となった。

ヒトラーは学友に大ドイツ主義を宣伝してグループを作り、
ハプスブルク君主国(オーストリア)の国歌ではなく、
「世界に冠たるドイツ帝国」を謡うように呼びかけている。

1903年、
憎むべき父アイロスが病死するも、ヒトラーの問題行動は収まらず、
遂に退学処分を受けた。

家族に勧められ、再び入学した学校でも、様々な問題を起こし、
病気療養という理由で自ら退学する。

1905年、
自由の身となったヒトラーは、芸術を学ぶ為、
単身ウィーンへ移り住む。

この頃、暇さえあれば図書館へ行き、
歴史や科学などについて多くの知識を得る事になるのだが、
その書物の中で『反ユダヤ主義』と出会ったとされる。






■ガッツマン's eye

後に、ユダヤ人大量虐殺という暴挙に出る、ヒトラー。
「我が民族こそ最高の人種である。故に他の人種は排除すべきである」
という偏った思想に取りつかれてしまった、ヒトラー。

しかし、彼がのめり込んだのは、
本当に『反ユダヤ主義』だったのでしょうか?

私たちは、ある貴重な書籍を発見しました。
『an an』の1920年7月号の巻頭特集を飾ったのがヒトラーだったのです。

当時、彼が本当に没頭していたものとは?

刮目せよ!!!











hitler1.jpg
「早押しなら誰にも負けないッスよ!」















その後、オーストリアの徴兵を逃れる為、幾度となく住まいを転々とするが、
第一次世界大戦が勃発した1914年、
ドイツ軍への入隊を志望し、バイエルン第16予備歩兵連隊に入隊する。

この大戦で、ドイツ軍の一員として戦った事が、
彼のドイツへの愛国主義をより一層高めた。

大戦後、ヒトラーは諜報部へ転属する。
いわゆるスパイである。

そこでの彼の任務は、当時台頭しつつあったドイツ労働者党の調査・監視。

しかし、そこで出会ったドイツ労働者党で党首アントン・ドレクスラーの、
『反ユダヤ主義』『反資本主義』の演説に感銘を受けて、
終いには軍を除隊し、ドイツ労働者党専従職員となる。

ドイツ労働者党が、ドイツ国家社会主義労働者党(ナチス)に党名を変えた頃、
党内では分派闘争が起き、クーデターにより党首ドレクスラーは失脚、
ヒトラーが新党首に指名された。

以降、勢力を拡大したナチ党は、右派政党の団体であるドイツ闘争連盟と共に、
イタリアのファシスト党が行ったローマ進軍を真似て、ベルリン進軍を企てる。

1923年、
ヒトラーから連絡を受けた前大戦の英雄エーリヒ・ルーデンドルフ将軍も合流し、
遂にナチス党とドイツ闘争連盟は、ミュンヘンに向け行進を始める。
後に言う「ミュンヘン一揆」である。

この時ヒトラーは、
「国の英雄ルーデンドルフに対しては、警察当局も手荒な真似はしないだろう」
と踏んだのだが、予想に反し、警察は一斉鎮圧に打って出た。

かくしてミュンヘン一揆は失敗に終わり、ヒトラー自身も逮捕・投獄された。

この事件の裁判で、ヒトラーは、
弁解を行わず一揆の全責任を引き受けると主張した。

この戦略が功を奏し、
いつしかヒトラーはルーデンドルフをも超える大物と讃えられた。

出所後もナチ党は目覚ましい勢いで勢力を強めていった。








1929年、
世界恐慌によって急速に景気の悪化したドイツ。

与党『ドイツ社会民主党』への不満も追い風となり、
1930年の選挙では、ナチ党は第二党へと躍進した。

1932年には大統領選挙に出馬。
財界からのバックアップも得たヒトラーは、決戦投票の末敗れるも、
同年に行われた国会選挙では、ドイツ社会民主党を抜いて、
国会第一党に躍り出た。

すると、ヒトラーは、全権委任法をゴリ押しで可決。

つまり権力のすべてをナチ党・あるいは自分に集中させ、
議会と大統領の権力は完全に形骸化した。

さらに、ナチ党以外の政党を禁止するなど、
独裁政権を強固たるものへとしていった。





■ガッツマン's eye

私は・・・ここで、ふと疑問に思った事がありました。

いくら独裁者と言えど、ヒトラーだって生身の人間。
弱い部分もあったと思うのです。

これだけ強硬に物事を進めれば、
批判・誹謗の声も相当なものだった筈。

そんな声を、彼はどうやって撥ね退けたのか?

その答えは・・・
『an an』1933年2月号の理想の上司(男性部門)2位に輝いた時の、
インタビューの中にありました。

彼が語った、
強いリーダーであり続ける為のコツとは?

刮目せよ!!!











hitler2.jpg
「は~ぁ?聞こえませ~ん!」












1939年、
ヒトラーは、宿敵であったはずのソ連と独ソ不可侵条約を締結、
直後にポーランド侵略を開始する。

対してイギリスとフランスがドイツへの宣戦を布告、
第二次世界大戦の幕開けとなった。

ポーランド制圧後、デンマーク・ノルウェーと侵攻を続け、
フランスをも降伏に追い込んだ。

次々と勢力を拡大すると共に、
「日独伊三国条約」を結ぶなど親ドイツ諸国と関係を強化していった。

そしてヒトラーは驚きの行動に打って出る。
1941年、2年前に同盟を結んだばかりのソ連に侵攻したのだ。

しかし、次第に戦局は厳しくなり、
イギリスを核とする連合軍の猛反撃に遭い、イタリアは敗北を宣言。

1945年、日本にはアメリカ軍の核爆弾が投下され、
日本もアメリカに対して降伏を宣言。

そして、ドイツも連合軍の集中砲火を浴び、
第二次世界大戦は幕を閉じる事となった。

観念したヒトラーは、
自室に籠り、妻と共に自ら命を絶った。






■ガッツマン's eye

暴走した独裁者。
そして自らが招いた、悲惨な末路。

自らの人生を振り返った時、
彼は一体、何を思ったのでしょうか?

『an an』1945年7月号で抱かれたくないタレント1位に選ばれた時のインタビューで、
こんな事を語っていました。

刮目せよ!!!











hitler3.jpg
「味付け海苔なんて盗んでない」の一点張り














■結論

以上、『写真でひと言』でした!








学校では決して教えてくれない、
歴史学者たちも頑なに口を噤んできた歴史の謎。

これからも、皆さんと一緒に紐解いていきたいと思います。

それでは、また次回、お会いしましょう!




ミステリー・オブ・ヒストリー ♯4

このシリーズ、しんどい!!!

ナビゲーターのファンキーガッツマンです。




今現在、語り継がれて来ている、
様々な歴史上の人物や、歴史上の出来事。

しかし!
本当にそれが『事実』だと皆さんは言い切れますか?

これまで、当り前のように、
それが『真実』だと語り継がれて来た事が、
実は『真実』ではなかったとしたら?

そう!
歴史には、葬り去られてしまった『謎』の部分があるのです。

この番組は、その名の通り、
そんな『歴史の謎』を、様々な角度から検証し、解明していく・・・

インテリジェンス丸出しの番組なのです!!!

リクエストがあった人物の事について、
知っていようが知っていまいが、
インテリジェンス丸出しの番組なのです!!!





さて、第四回目の今日は、
この人物にスポットを当ててみたいと思います。

それでは、
後ほど、またお会いしましょう。










『アメリゴ・ヴェスプッチと新大陸』

1454年、
アメリゴ・ヴェスプッチはイタリア・フィレンツェに生まれる。

元々は商人だったアメリゴ・ヴェスプッチだが、
後世に語り継がれているのは、探検家としての功績の方が遥かに強い。

1499年、
縁あって、ポルトガル王マヌエル1世から招待を受けた彼は、
ある航海に、オブザーバーとして参加する事となった。

そして、1500年、
一行はポルトガルからインド洋へ向かう際、未開の地『ブラジル』を発見した。





■ガッツマン's eye

さて!
ヨーロッパ各国が新しい島や大陸の発見に躍起になっていた最中、
ブラジルを発見したポルトガルの探検隊一行。

ヴェスプッチはオブザーバーとしての参加だったものの、
自分の事のように喜んだと言われます。

もう恒例と言いますか、パターンと言いますか・・・
その瞬間を情熱大陸の取材班が捉えていました。

ブラジルを発見した彼のひと言とは・・・

刮目せよ!!!











amerigo2.jpg
「ブラジルの皆さ~ん、聞こえますか~!」















報告を受けたマヌエル1世は、その土地が単なる島なのか、
あるいはスペインが既に探検していた大陸の一部なのか、
それを解明する事を切望した。

新たな命を受けたヴェスプッチは、
以降4度に渡って、ブラジルを訪れる。

そして、
彼はひとつの結論を導き出した。

コロンブスをはじめとするヨーロッパ人たちは、
こぞって「アジア大陸の一部である」と考えたのに対し、
ヴェスプッチは「アジアとは別の大陸だ」と主張し、
『新大陸説』を唱えたのだ。

後に、ヴェスプッチの説が正しかった事が判明し、
その功績を讃え、彼のラテン語名アメリクス(Americus)から、
新大陸は『アメリカ大陸』と名付けられた。





■ガッツマン's eye

名立たる冒険家たちの説を覆し、
いち早く『新大陸説』を唱えたヴェスプッチ。

あの、大きな大きな大陸に、自分の名前が使われる。
探検家冥利に尽きると言った所でしょうか。

さて!
ヴェスプッチに密着したこの回の情熱大陸は、
そんな彼へのインタビューで締め括られていました。

「自分の名前が新大陸の名前に使われた、今の感想は?」

そう問われた彼は、どう答えたのか・・・

刮目せよ!!!











「・・・

 ・・・

 ・・・

 ・・・

 ・・・












amerigo3.jpg
5秒、無駄遣い!!!」









■結論

サバンナ八木








学校では決して教えてくれない、
歴史学者たちも頑なに口を噤んできた歴史の謎。

これからも、皆さんと一緒に紐解いていきたいと思います。

それでは、また次回、お会いしましょう!




ミステリー・オブ・ヒストリー ♯3

このテイストに慣れてきましたか?

ナビゲーターのファンキーガッツマンです。




今現在、語り継がれて来ている、
様々な歴史上の人物や、歴史上の出来事。

しかし!
本当にそれが『事実』だと皆さんは言い切れますか?

これまで、当り前のように、
それが『真実』だと語り継がれて来た事が、
実は『真実』ではなかったとしたら?

そう!
歴史には、葬り去られてしまった『謎』の部分があるのです。

この番組は、その名の通り、
そんな『歴史の謎』を、様々な角度から検証し、解明していく・・・

インテリジェンス丸出しの番組なのです!!!

自分で設けたインテリジェンス縛りに、
すっごく後悔し始めてようが何しようが、
インテリジェンス丸出しの番組なのです!!!





さて、第三回目の今日は、
この人物にスポットを当ててみたいと思います。

それでは、
後ほど、またお会いしましょう。














『平賀源内とエレキテル』

平賀源内は、
1728年、讃岐(現在の香川県)の足軽身分の家に生まれる。

幼少の頃から手先が器用で、
暇さえ見つけては様々な細工に勤しんだ。

13歳の頃、その評判が藩医の耳にも届き、
そこで本草学・儒学を学ぶ事となる。

1752年、源内は長崎へ出向き、
そこで1年間、本草学・オランダ語・医学・油絵などを学ぶ。

それでも源内の探究心・向上心は収まる事なく、
大阪・京都、さらに1756年には江戸へ出て、
本草学者田村元雄に弟子入りして本格的に本草学を学ぶ。

1761年には伊豆で鉱床を発見し、産物のブローカーなども行い、
この頃には幕府老中の田沼意次にも知られるようになる。

また源内は、
今で言うところの『物産博覧会』を度々開催しており、
江戸においても、その知名度は上がり、
この頃には、杉田玄白や中川淳庵らと交友する事となる。

この他にも、文芸や絵画、陶芸などにも才能を発揮した源内は、
人々から、「天才」とも「異才」とも称された。





そして、1776年、
後に源内が歴史に名を刻む事になる物と出会う。

オランダ人が長崎に持ち込んだ『エレキテル(静電気発生装置)』である。

しかし、このエレキテル、実は故障していたのだが、
その原理について源内自身よく知らなかったにもかかわらず、
あっさりと修復に成功したというのだ。

以降、源内は電気の研究・エレキテルの開発にも勤しみ、
それを積極的に世間にも紹介した。

ただし、源内の開発・研究は実用化には漕ぎ着けておらず、
この事が、後世の評価を二分する一因となっている。






■ガッツマン's eye

いかがですか?
これ程までにマルチな才能を発揮したユーティリティな人間が、
これまでに存在したでしょうか?

しかし!
現在、私たちは『平賀源内=エレキテル』として認識していますが、
果たしてそれは、本当に彼の功績なのでしょうか?

私たち取材班は、
彼がエレキテルの研究に没頭した家屋を発見しました。

そこには、驚きの真実が隠されていたのです。
そこにあってはならない物、それは・・・

刮目せよ!!!









gennai1.jpg



















源内は、多くの書籍・絵画・浄瑠璃作品を発表しているが、
もうひとつ特筆すべき事がある。

今ではすっかりお馴染みの『土用丑の日』。
これを作り出したのも平賀源内だと言われている。

夏場の売り上げ不振に悩んだ鰻屋に頼まれ、
「夏バテ防止にウナギを食べよう!」と宣伝したのだ。

この戦略に、庶民は見事に食い付き、
現在では日本の風習として定着しているのだ。

また、1769年には、
歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけ、
1775年には、音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけ、
それぞれ報酬を受けており、
日本における最初の『コピーライター』と評されている。





■ガッツマン's eye

確かに、
250年近くも受け継がれるキャッチコピーなど、
そうそうあるものではないでしょう。

糸井重里も真っ青の、そのワードセンスは、
一体どこから湧き出てくるのでしょうか?

そのヒントが・・・
これまた情熱大陸の密着取材のテープの中にありました。

刮目せよ!!!












「最近、勃ちが悪いんだよな~・・・



















gennai2.jpg
 源内のゲンナイがゲンナリ!
 つって!なんつって!!!」









■結論

ただの、ダジャレ好きインチキくそジジィだね!








学校では決して教えてくれない、
歴史学者たちも頑なに口を噤んできた歴史の謎。

これからも、皆さんと一緒に紐解いていきたいと思います。

それでは、また次回、お会いしましょう!



ミステリー・オブ・ヒストリー ♯2

また、お会いしましたね!

ナビゲーターのファンキーガッツマンです。




今現在、語り継がれて来ている、
様々な歴史上の人物や、歴史上の出来事。

しかし!
本当にそれが『事実』だと皆さんは言い切れますか?

これまで、当り前のように、
それが『真実』だと語り継がれて来た事が、
実は『真実』ではなかったとしたら?

そう!
歴史には、葬り去られてしまった『謎』の部分があるのです。

この番組は、その名の通り、
そんな『歴史の謎』を、様々な角度から検証し、解明していく・・・

もう一度言いますけど、
インテリジェンス丸出しの番組なのです!!!

大事な所で噛もうが何しようが、
インテリジェンス丸出しの番組なのです!!!





さて、第二回目の今日は、
この人物にスポットを当ててみたいと思います。

それでは、
後ほど、またお会いしましょう。











『ペリーと黒船来航』

1853年、
突如、江戸湾浦賀(現・神奈川県横須賀市)に、
アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船隊が現れる。

率いるは、アメリカ海軍提督、マシュー・ペリー。

大きな目的としては、日本に開国を求める為ではあるが、
そこには様々な背景があった。

世界に目を向けると、時はまさに植民地時代。
産業革命に湧くヨーロッパ諸国は、海外市場・植民地の獲得を目指し、
こぞってアフリカやアジアに進出していた。

そして、アメリカもまた、
負けじとアジア圏への進出を目指していた。

そこでネックになるのが、鎖国状態にある日本だった。




例えば、アメリカから中国へ渡航する場合、
それまではアメリカ東海岸からインド洋を経由し、
到着まで4ヶ月以上も要した。

しかし、日本を補給拠点に出来れば、西海岸から太平洋経由で、
わずか3週間程度と、驚異的な時間短縮・コスト削減が見込めるのだ。

そのような背景から、アメリカにとっては、
ヨーロッパのアジア戦略に対抗するためにも、
『日本の開国』は是が非でも実現させたいものであった。

その大きな大きな使命を帯び、
合計13隻の大艦隊を引き連れ、やって来たペリー提督。

かつて日本人は、
ロシア海軍やイギリス海軍の『帆船』は見た事があったが、
ペリー艦隊は、真っ黒い煙を上げ、帆も無いのに進む『蒸気機関船』。
その初めて目の当たりにする異様な光景に、人々は恐怖に慄いたという。

そして、誰ともなく、人々はその船を
『黒船』と呼ぶようになった。






■ガッツマン's eye

さぁ!
遂に黒船が日本にやって来たわけですが・・・

その日本人たちの反応を見たペリーは、
一体、どんな思いだったのか?

当時、情熱大陸の密着取材を受けていた彼は、
こうつぶやきました。

刮目せよ!!!












perry.jpg
「ブッチャケ、白ノ方ガ好キデース!」



















幕府は、ペリー来航の目的が、
将軍にアメリカ合衆国大統領親書を渡す事であると把握し、
船上のペリーに対してまず浦賀奉行所与力の中島三郎助を派遣する。

しかしペリーは、与力という階級が低過ぎるとし、
親書を手渡す事を拒否する。
「親書は最高位の役人にしか渡さない」とつっぱねた。

躊躇する役人たちに、ペリーは、
「出来ないのなら、兵を上陸させて直接将軍へ渡す」とまで脅しをかけた。

この上ない高圧的な態度に見えるが、
ペリーが請け負った任務が、それ程重要だという事の表れとも取れる。

この時、第12代将軍の徳川家慶は病床に伏せていて、
国家の重大事を決定できる状態には無いと判断した老中首座阿部正弘は、
彼らの上陸を止む無く許可した。

後日、浦賀奉行の戸田氏栄・井戸弘道がペリーと会見した。
幕府側の現状(主に将軍家慶の病状)を説明し、
大統領親書に記された開国の要求については、「猶予が欲しい」と頼んだ。

するとペリーは、渋々承諾し、
「1年後に回答を聞きに、またここへ来る」と言い残し、
日本を去った。

程無くして、家慶は病死してしまい、
13代将軍を継いだ家定もまた病弱で、国政を担えるような人物ではなかった為、
老中首座阿部正弘は開国すべきかどうか、とても頭を悩ませた。






そして、
再び幕府を混乱させる出来事が起こった。

あれから僅か半年後、
ペリー艦隊は、再び浦賀に姿を現した。

ペリーは香港で家慶の死を知り、
国政が混乱状態にある、この隙を突こうと考えたのである。
実にしたたかな外交戦術である。







■ガッツマン's eye

という訳で、
掟破りとも思える、この再来日。

混乱状態にあった日本の隙を突くというのは、
果たして『真実』だったのでしょうか?

ここで、
再び、情熱大陸の密着取材映像をご覧頂こうと思います。

密着カメラに、思わず語った、彼の真意とは?

刮目せよ!!!












perry2.jpg
「サプラ~イズ!!!(笑)」
















そして、そこから1ヶ月にも及ぶ協議の末、
日本はアメリカの要求『開国』を受け入れたのであった。

ここに、全12箇条に及ぶ日米和親条約が締結され、
3代将軍徳川家光以来200年以上続いてきた『鎖国』が解かれた。

とにもかくにも、
マシュー・ペリーなる人物は、アメリカ海軍の軍人であると同時に、
交渉戦術に長けた『敏腕外交官』でもあったと言えよう。







■ガッツマン's eye

う~ん・・・
彼は本当に敏腕外交官だったのでしょうか?

最後に、
三度、情熱大陸の密着取材映像をご覧ください。

大仕事を終えた彼のひと言を、カメラは捉えていました。

刮目せよ!!!












perry.jpg
「日本食食イ過ギタ~!服キツッ!!!」











■結論

ただの、陽気なオッサンだね!








学校では決して教えてくれない、
歴史学者たちも頑なに口を噤んできた歴史の謎。

これからも、皆さんと一緒に紐解いていきたいと思います。

それでは、また次回、お会いしましょう!



09 | 2017/10 | 11
Su Mo Tu We Th Fr Sa
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

ファンキーガッツマン

Author:ファンキーガッツマン
ここは天国ですか?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。